なぜアメリカだったのか。
正直なところ今靴磨きと言ったら日本!
長谷川裕也さんが技術でも世界一になりましたが、スーツ、ジャケットスタイルでカウンターで磨くカッコイイ靴磨きのスタイルが世界的に見ても最先端であることは周知の事実だと思います。
そんな中なぜアメリカで修行だったのか。
それは僕が靴磨きを始めた時すでに決まってたんだとおもいます。
前の記事でも載せた通りそもそも靴磨きは他にやっている人がほとんどいなかったり、自分主導で働けるから始めたわけで僕自身靴を一度も磨いたことがない状態でのスタートでした。
というわけなのでまずは靴の磨き方や道具の知識、革の知識、靴の知識を身につけることから始めたわけですが、それを知ろうにも周りに教えてくれる人がいるわけもなく、
手入れについて載っている雑誌をみつけたらとにかく買って実践してみたり
ネットで情報を集めたり、それでも分からなかったらわかりそうな人がいるところを調べて聞きに行ったり。
あとは当時少ないながらもユーチューブに動画があり、とにかく見まくって真似してみてました。
そんな中で見つけた瞬間惹きつけられて何度も見返した動画がコレ
How to polish cordovan shoes.
https://m.youtube.com/watch?v=EQ1k8mJt3iI
改めて見たらここembarcadero店ですね。
それと見つからなかったのでもう消えてしまっているのかも知れませんが陽気な音楽に合わせてKevinさんメインで靴を磨いているめちゃくちゃ楽しそうな動画でした。もちろんその時はこの人が誰かも知らずにみてましたけどね。
仕上がりもさることながら高いところにお客さんを座らせてやるスタイルと派手なアクション。
これがやりたい!
そう思ってその時お店を作っている段階だったのでこれをやらせて下さいと頼み込みました。
残念ながら却下されたわけですけどね(ーー;)
そうこうしながら1ヶ月ほどで靴磨き専門店Burnish(本町店)が完成し、諦めてそのまま日本の従来の靴磨きスタイルをサロンでカッコ良くみたいな感じでやっていく事になるのですが、、それが2011年冬。
そして地道なアピールを経て百貨店から仕事を依頼してもらえるようになったりしながら2014年にカルチュア・コンビニエンス・クラブからオファーを頂き2015年に梅田蔦屋書店に出店。
その2年後。
2017年阪急百貨店の催事のお話でニューヨークフェアで靴磨きをやりません?と相談を受けました。
話を聞くとアメリカからシューシャイナーを呼ぶそうで、写真を見たらなんとKevinさん!!
「僕この人知ってます!!是非お願いします!!」
ってな流れでトントン拍子に話がまとまって
直前になってあの人来れなくなったから代役の人が来ますということで来たのがKealaniさん。
実はこのKealaniさん"How to polish cordovan shoes”の動画の人。
え…??お、同じ会社の人!??
もうね、そらそうでしょ。
教えて!ってなるわけですよ。
自分もそれなりに磨いてきたんで1週間くらいの期間で色々聞くしやり方もある程度は掴んだわけですけど。
逆に先もまだあるなぁっていうのを感じてましたしKealaniさんもコイツもっと知りたいんやろなぁって感じてくれてたみたいで
「一回来なさいよ!」
そう言ってくれて僕もその場で行くって返事したわけですね。
そしたらその場でKevinさんに電話してくれて次の2月に行く事決定。
そんなわけでまぁなにかに仕向けられてるかのような流れで逆らわなかったら行って当然。
逆らう理由もなく流れのままにアメリカ修行の道を歩むことになりましたとさ。
かくして日本の靴磨きの原点でもある米兵スタイルからUSで進化した現在のUSスタイル。
すでに先を行く日本のスタイルの中でやっていけるのか!?
今後をご期待下さい!!(΄◉◞౪◟◉`)
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自己紹介
はじめまして
ブログを始めた現在、33歳。
2011年27歳で靴磨きを始めて約一ヶ月で靴磨き専門店burnishオープン。店長として勤務。
2015年ルクアイーレ梅田蔦屋書店に二店舗目出店。梅田店店長として勤務。
年間1万足を超える依頼を頂く店舗に成長。
2018年Burnishを退職しサンフランシスコに拠点を持つThe Shoeshine Guildへ修行に出る。
これが靴磨きを始めてからのざっくりした経歴といったところですが、靴磨きを始めた理由についてよく聞かれるのでまず始めにこれを記していきたいと思います。
靴磨きを始める事に決めたのは靴が好きだったからでも靴磨きが好きだったからでもなく、それまでの仕事の経験と偶然に導かれた結果でした。
18歳の頃に専門学校に行くために徳島から大阪に出てきて半年経たずに辞めてしまい(父さん母さんごめんなさい)
今まで働いてきた仕事は
・パチンコ店アルバイト
・イベント運営
・たい焼き店
パチンコ店は慣れれば楽で給料もそれなりなのでズルズル続けてしまいがちな仕事で別の仕事をしては戻りを3回経験しましたがズルズルいった先輩の姿をみて続ければこうなると思い辞める事に。
イベント運営は最初はスタッフから運営に引き上げてもらい。歩合が付くやり甲斐のある仕事だったのですが、内容が会員獲得の仕事でその案件専属だったため関西圏内で会員を獲得し尽くしたところで仕事がなくなり同時に退社。
たい焼き店はブームの時期で行列ができるお店に勤めれば稼げるだろうと思い店長候補として入店するも一年でブームが終わり閉店。
たい焼き店が潰れた時26歳。
この時このままでは結婚もできないと気付き仕事について真剣に考えるようになりました。
これまでの経験からすると
・イベント運営の時のように数字が上がれば給料に結びつくほうがモチベーションが上がる。
・たい焼き店の時のように自分がメインで仕事を回す。
・上位になる。1番になる。
これがあれば楽しく仕事ができるだろうと思いました。
やりたい事が職種じゃなくて働き方?のような感じです。
あと大事な要素として「流行り物じゃない仕事」多分流行り仕事は僕には向いてない。
そしたらどうやって仕事を探すのか、
仕事の探し方は最初は普通に求人で探そうとしましたが自分メインで最初からするには実績がなくあまり手応えがありませんでした。
そんな時友人から飲食店を新たに出す人がいるから一緒にやらないか?と誘いがあり、その時は結局話だけで終わったのですが
そのオーナーがこんなお店をやりたいと言っているのを聞いてコレだ!と気付きました。
「あなたがやりたい事を僕を使って実現してみませんか?」
新しい事を始めたい人を探してこう言って周ったのです。
どうやらこの考えはヒットだったようで、居酒屋で知り合った社長さんや友人で可能性がある人に頼み込んで紹介をしてもらって話をしてみたらなんと1ヶ月で5人もの人が手をあげて下さいました。
その時が2011年27歳の年で頂いたお話が
・まだ日本に入っていなかったイタリアのジェラートの店を始める話。
・和菓子屋さんこ継ぎ手がいないので修行して店を継ぐ話。
・ソーラーパネルの営業の部署を立ち上げたいのでやってくれという話。
・飲食店。
・最後に靴磨き店
飲食店は上手くいくビジョンが見えなかったので×
ソーラーは流行っぽかったので×
ジェラートは良さそうだったけど流行ものなので×
残りは和菓子と靴磨き。
和菓子屋さんは早い段階で話を頂いていましたし修行してモノになれば店を譲るという好条件だったのでやる気だったのですが、ライバルに負けて×
最後に靴磨き。
これは初期投資も少なく流行りものではなさそうなので需要さえ掴めばずっと続けられそう。かつ他にやってる人が当時東京にちらほら居るくらいなもので他にいなかったので1番になれる可能性がある。
なんだったら西日本で1番すぐに名乗れる感じ?でした😅
そんな感じで始めた靴磨き。
今ではどっぷりハマってついに靴磨きの修行をしにアメリカまできてしまいました🤣
モットーは
「一度磨いた靴は一生面倒を見る。」
この精神でまずは靴磨き修行とサンフランシスコの生活について携帯でポチポチ更新して行きますのでどうぞまた見てやって下さい。
2018年2月7日スタート
大岡辰徳
instgram : shieshinecreator_ooka
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